信仰と復興の街・浦上。祈りの道を無理なくたどる巡り方
浦上天主堂は、禁教が解かれたのちに信徒たちが約30年の歳月をかけて建て上げた、レンガ造の大聖堂です。原爆落下中心地や平和公園から歩いて回れる距離にあり、信仰の歴史と平和学習をひとつの流れで巡れるのが浦上エリアの特徴です。
ただし各スポットは少しずつ離れており、高低差もあります。この記事では、浦上天主堂の歴史と見どころ、そして周辺スポットを無理なくつなぐ巡り方を、地元25年のドライバーがご案内します。
長い禁教の時代が終わったあと、浦上の信徒たちは自分たちの手で聖堂の建設を始めました。資金を出し合い、レンガを積み上げ、大正14年(1925年)にようやく完成。その姿は「東洋一」と謳われたほどの壮麗な大聖堂でした。
しかし完成からわずか20年後の1945年8月9日、原爆は浦上の空で炸裂します。爆心地からほど近い天主堂は倒壊し、多くの信徒が犠牲となりました。
現在の聖堂は1959年に再建されたものです。建て直された赤いレンガの聖堂は、浦上の人々の信仰と復興の象徴として、いまも丘の上に立っています。
聖堂には、焼け跡から見いだされた「被爆マリア像」が安置されています。熱線で目を失ったマリア像の顔は、言葉を超えて多くのことを語りかけてきます。また、聖堂脇の斜面には爆風で崩れ落ちた鐘楼の一部が、落ちた場所にそのまま残されています。あの日の力のすさまじさを、静かに伝える遺構です。
※最新の拝観情報は公式サイトでご確認ください。
原爆が炸裂した地点の直下に、黒い石柱の原爆落下中心地碑が立ちます。碑のかたわらには、移設された浦上天主堂の遺壁が保存されており、倒壊前の聖堂の面影を伝えています。
右手で原爆の脅威を、左手で平和を示す平和祈念像と、平和の泉。長崎の平和学習の中心となる場所です。詳しくは原爆資料館と平和公園の見学ポイントの記事でご紹介しています。
爆心地の南東にある山王神社では、爆風で半分だけが残った「一本柱鳥居」が今も参道に立っています。境内の被爆クスノキは、一度は焼け焦げながら再び芽吹き、いまは青々と葉を茂らせる復興の象徴です。
浦上・平和公園めぐり、ご相談ください
090-2507-9761 受付 11:00〜21:00(年中無休)浦上エリアの各スポットは、地図で見ると近そうに見えて、実際には少しずつ離れ、高低差もあります。浦上天主堂は丘の上、平和公園も階段や坂を上った先。夏の暑い日や雨の日に歩き通すのは、なかなか大変です。
貸切タクシーなら、原爆落下中心地→浦上天主堂→平和公園→山王神社という祈りの道を、それぞれの入口近くまで車でつなげます。歩く距離を最小限にできるぶん、一つひとつの場所で、ゆっくり手を合わせる時間が生まれます。3時間のモデルコースに組み込めば、市内の他のスポットともあわせて巡れます。
60代のお客様のなかには、修学旅行で訪れた記憶と重ねていらっしゃる方も少なくありません。「あのとき見た被爆マリア像に、もう一度会いに来ました」──そんな旅のお手伝いができるのも、この仕事の喜びです。
浦上天主堂は丘の上にあり、正面から向かうと上り坂が続きます。私は聖堂のすぐ近くまで車でお送りして、参観後は坂を下りながら鐘楼の遺構を見ていただく順番にしています。それともうひとつ。山王神社の一本柱鳥居は、団体バスでは立ち寄りにくい細い道の先にあり、個人タクシーだからこそご案内しやすい場所です。爆心地からの距離を車で実感しながら移動すると、「ここまで被害が及んだのか」と、資料館の展示が現実の距離感を持って迫ってきます。浦上は、車でつないでこそ全体像が見えてくる街だと思っています。
浦上エリアを中心にコンパクトに、または市内の定番スポットとあわせて。ご希望に沿ってご案内します。
浦上天主堂・平和公園・山王神社を無理なくつないで。
ゆっくり手を合わせる時間を大切にした旅を。